コンサート2018/8/30 木村俊介(篠笛)・稲葉美和(琴)
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(以下は森鴎外作「山椒太夫」の最終クライマックスの抜粋です。--青空文庫より--
正道はなぜか知らず、この女に心が牽かれて、立ち止まってのぞいた。女の乱れた髪は塵に塗れている。顔を見れば盲である。正道はひどく哀れに思った。そのうち女のつぶやいている詞が、次第に耳に慣れて聞き分けられて来た。それと同時に正道は瘧病のように身うちが震って、目には涙が湧いて来た。女はこういう詞を繰り返してつぶやいていたのである。
安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生あるものなれば、
疾う疾う逃げよ、逐わずとも。
正道はうっとりとなって、この詞に聞き惚れた。そのうち臓腑が煮え返るようになって、獣めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。たちまち正道は縛られた縄が解けたように垣のうちへ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏したときに、それを額に押し当てていた。
女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目があいた。
「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。